2014年3月19日水曜日

中国の海洋での挑発は経験不足による軽率な行為:相手に軍事増強の口実を与える

_


レコードチャイナ 配信日時:2014年3月19日 8時24分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=85111&type=0

中国の海洋での挑発は経験不足による軽率な行為、大国相手には通じない―米軍事専門家


●15日、米軍事情報サイト「StrategyPage」は、中国が周辺国との領有権問題を抱える南シナ海や東シナ海で挑発行為を行っていることについて、「中国海軍の経験不足による粗暴で軽率な行為だ」とする軍事専門家の見解を紹介した。写真は中国の巡視船。

 2014年3月15日、米軍事情報サイト「StrategyPage」は、中国が周辺国との領有権問題を抱える南シナ海や東シナ海で挑発行為を行っていることについて、
 「中国海軍や士官の経験不足による粗暴で軽率な行為だ」
とする専門家の見解を紹介した。
 海外華字メディアが伝えた。

 米海軍の元幹部は、中国が公海上で漁船などによる妨害行為を行っていることについて、
 「中国海軍の経験不足やおごり、軽率さによるものだ」
と指摘。
 その理由として
 「もし事故が起きればその代償は計り知れないだろう」
と述べた。

 一方、他国と領有権を争う海域では、
 「中国は先に武力で占領し、その後、交渉のオファーを出す」
という戦略を取っていると、この幹部は指摘。
 その上で、
 「フィリピンやベトナム相手には有効かもしれない。
 しかし確かな決意と強大な軍事力を持つ隣国相手では失敗に終わるだろう」
との認識を示した。


 中国の挑発は日本にとっては「カモがネギ背負って来る」みたいなものである。
 これまで、 手の付けることのできなかったタブーの領域へ、
 「迫り来る中国の脅威」
を大々的に宣伝して、足元を固めようとすることができるようになる。
 まさに、日本にとって中国の挑発はかけがえのない応援エールである。
 中国が尖閣諸島の奪回を実行したら、日本は小躍りして喜ぶだろう。
 上の記事の締め部分の
 「フィリピンやベトナム相手には有効かもしれない。
 しかし確かな決意と強大な軍事力を持つ隣国相手では失敗に終わるだろう
となっているが、中国の失敗は日本のステップアップの一歩になるという認識を日本の当局は持っているのではないだろうか。
 つまり、これを再び奪い返すことによって中国の威信の完全な低下を誘導することができ、さらには日本の力を周囲に見せつけられるという演出を含んだステージを作り出すことができる、というわけである。
 尖閣諸島とは、日本にとってまさに嬉しい嬉しい黒船なのである。
 小さな4つの島が日本の民族モチベーションを高めている。
 中国としてはその程度のことは分かりすぎるほど分かっているので、圧力は掛けるが絶対に手は出さない。
 その分巨大なラッパが唸りをあげて稼働でき、中国の正当性を宣伝できるというわけである。
 日本は中国が絶対に実力行動にでないことが分かっているから安穏としている、というわけでもある。
 尖閣諸島はそこに存在するだけで両国にとって無限の価値がある、ことになる。
 平たく言えばウラで手を結んでオモテで擬似ゲームをしているわけである。
 小競り合いはしても、おお事には進ませないという暗黙了解の上に成り立っているということである。

 アジアに目を向ければ、中国の軍事力増強と挑発は周辺国に極度の警戒感をもたらす。
 みなが一斉に中国に負けじと軍事拡大に走っている。
 まさに中国のもたらすものは大きい。
 その大きさゆえに存在そのものが脅威に感じられる巨象が、動き始めたらその影響ははかりしれない。
 動くたびに「ドスン、ドスン」と地鳴りをひびかせるのである。
 まして、挑発に出てくれば、もはやパニックである。
 怯える周辺国はなんらかの自衛手段を」とらざるを」えなくなる。


JB Press 2014.03.19(水)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40190

アジアの最悪の悪夢:日中戦争
米「National Interest」誌より~ジェームズ・ホームズ氏寄稿

 東アジアで戦争が起こる可能性を過小評価するのはやめよう。
 あるいは、中国と日本が紛争を起こした場合に、米国は高みの見物を決め込めるなどと甘い考えを抱くべきでもない。
 欧米人が日中のいがみ合いの本質や、その対立が掻き立てる激しい感情を推し量るのは難しい。

 理屈の上では、日中両国をいがみ合わせている争点は容易に理解できる。
 例えば、日本も中国も、台湾と日本の琉球諸島の近くにある小さな島々、尖閣諸島(釣魚島)の領有権を主張している。

 中国は、近海とその上空の交通を支配したいと考え、東シナ海に新たな防空識別圏(ADIZ)を設定し、公海の利用規則を書き改めようと手を尽くしている。
 また、海底エネルギー資源の存在が、排他的経済水域(EEZ)の境界の線引きで摩擦を生んでいる。
 両国の争点はほかにもある。

 これらの事例は、一見単純な話だ。
 領有権と資源をどのように分配するかを巡る争いである。部外者はそれを理解できる。
 しかし、そこに危険がある。
 実在の定量化できるものだけが原因で厄介な事態に至っていると決めてかかることが危険なのだ。

 係争中の領土と資源が取るに足りない価値しか持たない場合には、そうした決めつけの危険性はいっそう高まる。
 プロイセン王国の軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツの費用便益論に従うなら、尖閣諸島やスカボロー礁は、当事国のいずれにとっても最小限の時間や資源を割く価値しか持たない。

■なぜ大国が「無人の岩」を巡って戦争の危険を冒すのか


●欧米人にとっては、無人の島を巡って大国が戦争の危険を冒すことが理解できない〔AFPBB News〕

 だからこそ評論家や解説者は、客観的基準からすると利害がこれほど小さいのに、なぜ妥協がこれほど難しく見えるのかと首をひねる。
 「東シナ海の無人の岩」を巡って複数の大国が戦争の危険を冒すなどということは、どうしても理解できないのだ。

 アジアウオッチャーの中には、「本質的に無価値な」地勢を巡って複数の社会が争いたがることに、あきれ果てている者もいる。

 そうした人々は、なぜ互いに妥協できないのかと問いかける――取引をして地域の調和を取り戻し、他の国々に無用の混乱や苦難を被らせずに済ませることがなぜできないのか、と。
 明白な価値などほとんどないものにしがみつくのは、理性を失った自滅的な行為だとは言わないまでも、考えが足りないように思える。

 果たしてそうなのだろうか? 
 SF界の巨匠、ロバート・A・ハインラインなら、欧米人はこうした問題を、頭では理解しても「グロク」できないのだと冷やかすかもしれない。
 重大な問題というものは、争われている具体的利害だけでなく、より大きな原則をも問うものだ。
 ハインラインが名作『異星の客』の中で創作したグロクという言葉は、
 「観察者が観察されるものの一部となるくらいまで完全に理解する」
という意味を持つ。
 何かを単に頭で知るだけでなく、腹の底から感じ取ることだ。

 ハインラインは、人が他人を本当に知る能力に絶望していたようだ。
 グロクする、とは
 「我々が宗教、哲学、科学という言葉で表していることほとんどすべてを意味する」。
 しかし、ハインライン曰く、目の不自由な人に色が分からないのと同じように、ほとんどの人はそうした「深い理解」を得ることはできない。
 その結果、不本意ながら、味方に対しても、また敵になりそうな者に対しても、同じように共感が欠落する。

 しかし、我々は容赦のない戦略的現実をグロクしなければならない。
 東アジアのいがみ合いは、単に島々やADIZだけが問題なのではない。
 アジアの秩序の本質そのものが問われている。
 民主制であれ、少数独裁制であれ、国内で権力を握るどのような政治体制であっても、
 外交政策の基本的な動機は、自国を取り巻く世界を安全な場所にすることにある。

 ギリシャの歴史家トゥキュディデスの時代からずっと、国家は国の利益と願望に好都合な地域秩序を維持したり確立したりするために、莫大な金額を費やしてきた。
 国は、周囲に志を同じくする政治体制を配置することで、好ましい平穏な現状を維持したいと願うものである。
 大昔からそうだったし、現在もそうだ。

 大日本帝国は1894~95年にアジアのヒエラルキーを覆し、中国の清王朝の海軍を撃破して、遼東半島の旅順などの要衝を占領した。
 アジアを、当時の大日本帝国にとって安全な地域にする作業に着手したのだ。

 軍事的勝利はしばしば、政治的目的を達成できずに終わる。
 しかし、筆者の同僚で友人でもあるサリー・ペイン教授が指摘するように、日清戦争の戦場は局地的だったが、その影響は局地的と言うにはほど遠かった。
 清王朝は敗戦後も中国の支配王朝であり続けたが、日清戦争の講和条約である下関条約で、中国に代わり日本がアジアの中心国になることが示された。

 条約の各条項――特に台湾の日本への割譲――により、アジア地域の秩序は現在のあり方へと修正された。
 我々は現在もその中で暮らしている。
 実際、1895年以降の中国の外交政策は下関条約の破棄を目指す努力であり、一方、日本の外交政策は同条約を再確認しようとするものだったと、ペイン教授は指摘する。

 要するに、大日本帝国は、局地戦により、アジアのヒエラルキーの頂点から中国を追い落としたのだ。
 中国はお返しに、同じく局地的な威嚇的外交により、(中国人から見れば)正当な地位を奪還したいと考えている。

 古代中国の兵法家、孫子は、指揮官ならば、わずかな兵力で多大な成果を上げられる機会を求めよと告げる。
 中国は今、明らかに、東シナ海でそうした機会を見いだしている。
 「権威主義的資本主義付き共産主義」というブランドにとって、アジアを安全な場所にしたいと考えているのだ。

 しかし、今後起こる紛争は、いかなるものであれ、1対1の日清戦争より構造的に複雑なものになるだろう。
 不思議なことに、米国は、日露戦争(1904~05年)、日中戦争(1937~45年)、そして太平洋戦争(1941~45年)によって修正された下関条約の遺物を保証する関係国であり、しかも一切執行権を持たない関係国というわけではない。

 米政府高官は、米国はアジアの海に点在する島々や環礁にどの国の旗が翻ろうと特別な利害関係を持たないと断言する。
 その通りである。
 しかし米国は、1945年からこの体制を監督してきたのであり、それを維持することに強い利害を有している。

■危険な前例

 どの国であれ、1つの沿岸国が法令でルールを変える――空と海の自由を制限したり、力ずくで他国の領土や領海を手に入れたりする――ことを許せば、危険な前例を作ることになる。
 ひとたび中国政府が体制を修正するのを黙認してしまえば、何度でも繰り返されるのではないか?
 そして、中国が許されるのなら、世界のほかの地域の大国も同じことをするのではないか? 

 つまり、米国にとって、これは地図上の小さな点を巡る争いなどではなく、原理原則を巡る争いなのだ。
 だからこそ、尖閣諸島とADIZが米国人にとっても重要になってくる。
 それを「罠」と呼びたければ、呼べばいい。
 しかし、いかなる米政権も日中間で行われる腕試しから容易に身を引くことができるとは思えない。

 それゆえ、日本、中国、米国の政府はいずれも、この争いに重大な利害関係を有している。
 このことは架空の戦争について何を示唆するのか? 

 クラウゼヴィッツは、政治家たる者は「政治的対象」、つまり政治的目的に付与する価値によって、その目的を達成するために注ぎ込む努力の「規模」と「継続期間」を決定すべきだと言う。
 目的が重要であればあるほど、交戦国はより多くの人員、財産、武器を費やす――しかも、より長期にわたって。

 大きな利害は大きな投資を正当化する。
 従って、アジアに利害関係を有する3カ国はすべて、自分の望みを通すために、多額の資金を長期間費やすことを厭わないようになるかもしれない。

■クラウゼヴィッツの運命論

 ここに厄介な問題がある。
 クラウゼヴィッツは、対立する国々はそれぞれ敗北の可能性を意識し、ファーストムーバーの優位性を失わないようにするために、必要最小限を上回る武力を配備すると予言する。
 指導者は、相手に機先を制されることを恐れる。
 より多くのことを、より早く成し遂げれば、競争相手に先んじて、勝利の可能性を高めることができるのだ。

 全員が単純な費用便益論から導き出される以上のことをすれば、どんどんエスカレートする力学が働くようになる。
 日米両国政府は、国内協議及び共同協議においてこの点を認識すべきだ。

 クラウゼヴィッツ的な必然論は、戦略的英知の始まりを表している。
 競争の当事国はすべて、最小限の武力で――できれば、全く戦うことなく――目標を達成しようと努力するものと見なしても問題はない。
 戦争を起こしたがる者など誰もいない。
 一方で、両国とも、領土や地位、海事的な自由を手放すことは戦争よりさらに悪いと考えていると言っても、同じように問題はない。

 そうなると、一見ささいな利害を巡る戦いが急速に燃え上がり、中国と日米同盟が対峙する大きな戦いへと発展しないとも限らない。
 東シナ海の軋轢は、当事国の間にどれほど激しい感情を掻き立てることか。
 中国と日本は疲弊してしまうだろう。
 主権――特に、領土と資源――に関わる論争は、その政治的対象が持つと認識される価値を大幅に押し上げる傾向がある。

 その上、日中両国政府は、1895年以降の体制が今も機能していることを痛切に意識している。
 クラウゼヴィッツ的に言うなら、そのような価値を持つ目標は、とてつもない規模になり得る際限のない努力に値するのだ。

 米国人の熱意が未知の要素としてカギを握る。
 米国は、長引く努力に関与する米国の役割に関して内部衝突を抱える恐れがある。
 必要だが具体性に欠けると思われる利害と、そうした利害に対する一般国民の無関心との食い違いに直面することだろう。

 公海を自由に利用する権利は、疑いの余地なく、米国にとって極めて重要な利害だ。
 危険にさらされている友好国を支援していくこともそうだ。
 そのように尋ねられたら、恐らく誰もが同意するだろう。
 しかし、この体制が日常生活にとって重要であることをグロクできる一般市民がどれほどいるだろうか? 
 恐らく、ほとんどいないだろう。

 もしそうなら、自らの目的に計り知れない価値を見いだしている敵対する2カ国が東シナ海で対峙する時、一方を支援する、強力だが遠方にいる同盟国の関与は熱意のこもらないものになる。

 クラウゼヴィッツは――そう、現代の問題についても再び彼に意見を述べてもらおう――
 自分の主義主張と同じ緊急性を他人の主義主張に認める者は誰もいないと断言する。
 ゲームの賭け金が少ない同盟国は本気で関与せず、形勢が厳しくなれば出口を探すのだ。

■試される日米同盟

 昔の懐疑論者クラウゼヴィッツが正しければ、日米同盟は戦時下のストレスにさらされる恐れがある。
 日米両国政府は、東アジアで米国が主導してきた秩序を維持するという、同じ当面の目標を共有する。
 周囲の状況とその管理手法についての合意は、同盟の絆を固めると思われるだろう。
 しかし、クラウゼヴィッツが気づかせてくれたように、単に目標そのものではなく、目標に付与される重要性こそが問題なのだ。

 同盟国の一方が極めて大切にしている目標に、もう一方はそこそこの価値しか認めないことは起こり得る。
 日本政府は地位と領土に関わる利害を有していて、この対立に注意と精力を集中的に注ぎ込んでいる。

 しかし、米国の政治体制――国家も社会も――が海洋秩序の管理や日本の施政下にある土地の防衛にそれほど高い価値を置いているかどうかは、定かではない。
 同盟国間の協議に疑念が忍び込み、日本政府が米国政府の献身性に疑問を抱き、米国政府が戦争に引きずり込まれることに憤りを感じることもあり得る。


〔AFPBB News〕

 だとすると、最終的には、誰がより多くを望んでいるかで結果が決まるのかもしれない。
 中国と日米同盟のどちらが、自らの主義主張により大きな、そしてより持続的な熱意を奮い起こせるだろうか? 

 トゥキュディデスは、恐怖と名誉が――客観的利害だけでなく――人間に関わる様々な出来事を引き起こすことを、後世の人々に気づかせてくれる。

 スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームはこの考えを補強して、
 「利害と野心、名誉と恥辱、友情と憎悪、感謝と復讐心が、すべての公的交流における主要な原動力であり、これらの感情は極めて頑強で御しがたい性質を有している」
と付け加えた。

 このように哲学者は、強い感情が最高に理性的な熟慮さえも歪めると主張する。
 極めて重大な利害に対して脅威が近い時、人心は一つにまとまる。遠く離れた場所での希薄に感じられる利害は、一般市民からは――そういった脅威と戦う必要性を認めている人であっても――熱意を引き出せず、従って政治的支持を得られない。

 もし米国の指導者がこの国を西太平洋での戦争に引きずり込むのなら、説得の能力を問われることになる。
 戦争をするにせよしないにせよ、米国の責任に対する支持を呼び起こす価値はある。
 始めるなら今がちょうどいいだろう。

 こういったことすべては、我々をどこに向かわせるのだろう。
 日中間では、欧米人が取るに足りないと見なす問題を巡り戦争が勃発する恐れがある。
 それは同盟戦争になるだろうし、大規模で、悲惨で、長期にわたる戦争にならないとも限らない。

 日米同盟は、その戦争の初期段階では堅固に見え、同盟内部の奥深くの亀裂を覆い隠しているかもしれない。
 しかし、戦闘が長引き、米国の決意が揺らいで、こうした亀裂が表面化するようなことがあれば、日米同盟は瓦解するかもしれない。
 これらは、忌まわしい事態に至る前に、今の同盟国間で明確化しておくに値する問題である。

 戦略的現実をグロクしようではないか。
 ハインラインも、まさにそれを期待しているだろう。

【この記事はホームズ教授、ナショナル・インタレスト誌双方の許諾を得て翻訳・転載したものです】
Asia's Worst Nightmare: A China-Japan War
(米ナショナル・インタレスト誌、2014年1・2月号掲載)
Premium Information

ジェームズ・ホームズ James Holmes
米海軍大学教授(専門は戦略)。ジョージア大学公共国際問題研究科シニアフェロー。米海軍将校として第1次湾岸戦争に従軍した経験を持つ。海洋戦略全般および中国の軍事関係の専門家として知られ、数々の学術的論文に加え、米外交専門紙のナショナル・インタレスト誌やディプロマット誌に定期的に寄稿。これまでに20冊以上の書籍を出版しており、近著にトシ・ヨシハラ氏との共著『太平洋の赤い星』がある。