2014年5月15日木曜日

アジアのトラブルメーカー中国(15):インドネシアは中立、ミャンマーは中国離れを印象づけ

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サーチナニュース 2014-05-15 11:57
http://news.searchina.net/id/1532394

中越衝突:インドネシア外相「中国に失望」、
中国外相「ベトナムが原因作った」

 中国の王毅外相は14日、インドネシアのマルティ外相と電話会談した。
 王外相はベトナムの間で起きた南海をめぐる衝突についてベトナムを非難。
 中国側に対する「妨害活動と野蛮な衝突が情勢を緊張させた原因だ」と述べた上で、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国の冷静な対応を求めた。
 マルティ外相は9日時点で、「インドネシアは中国に失望した」などと述べていたが、
 王外相との電話会談では自国の立場を中立と説明したという。

  王外相は、中国企業が
 「中国の西沙群島(パラセル諸島の中国語名)の関連区で性以上な地下資源探査をしていた。この作業は10年前に始まった」
と述べた上で
 「ベトナム側が大量の船を派遣し、強力な妨害活動と野蛮な衝突を行ったことが、情勢を緊張させた原因だ」、
 「ベトナムは中国の主権と管轄権を侵害して、関連する一連の海の安全についての国際協定に違反した」
などと、ベトナムを非難した。
 現状については
 「中越は必要な意思疎通を行っているところだ」、
 「われわれはベトナムに対し、冷静になること、中国の主権と管轄権を尊重すること、情勢をさらに複雑化したり拡大しないことを促している」
と説明。
  ASEAN各国に対しては、
 「(問題の領域は中国の主権下にあり、
 ベトナム側の違法行為で問題が派生したという)この事件の基本事実をはっきりと認め、
 中国とともに、南シナ海の平和と安定の維持を続けるよう、希望する
と述べた。

 王外相は資源探査について、「作業は10年前に始まった」と説明したが、ベトナム側の行動の直接のきっかけになったのは、中国の三大石油会社のひとつ、中国海洋石油が3日、同海域で大規模な石油掘削すると発表したことだった。
  王外相の説明にマルティ外相がそのまま納得したとは考えにくいが、マルティ外相側の反応は伝えられていない。
 また、王外相の発言は中国外交部発表のもので、国内向けにも「自国の正当性の主張」の部分が特にピックアップされた可能性がある。

  一方、ミャンマーの首都ネピドーでは10日にASEAN外相会議、11日には同首脳会議が開催された。
 同会議に出席した、マルティ外相は10日にベトナムのファム・ビン・ミン外相と個別会談をした後、問題海域における中国による資源探査への着手の発表について
★.「失望した」、
★.「地域の安定を脅かすものだ」、
★.「(中国による)この種の行為は、南シナ海の問題における、法的な前進をもたらさない」
などと発言した。
 ただし、中国国際放送はマルティ外相は王外相と14日に行った電話会談の際、
 「中立を守るというインドネシアの立場を示し、中国と共に南海地域における平和と安定を維持していきたい」
と報じた。
  ASEAN首脳会議については、11日の予定だった議長声明の発表が13日にずれこんだ。
 各国の意見調整が難航したためとみられちえる。
 同声明は、緊張が高まる南シナ海について、「深刻な懸念」との文言を盛り込んだ。
 同会議の議長国は、軍事政権時代に中国と親密な関係を続けていたミャンマーあり、同国が中国に対する批判的な内容を盛り込んだ議長声明を発表したことで、
 国際社会に「ミャンマーの中国離れ」を印象づけることになった。 
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◆解説◆ 
  中国とベトナムの「衝突」が発生したパラセル諸島は中国が実効支配を続けている。
  同諸島は1930年代に、ベトナムを植民地支配していたフランスが実効支配を始めた。
  フランスは1954年にベトナムから撤退。
  その後は、ベトナム共和国(南ベトナム)が西半分、1956年からは中華人民共和国が東半分を占拠した。
  南ベトナムは1970年代になると、ベトナム戦争で敗色が濃厚になり、パラセル諸島の防衛も困難になった。
 中国が1974年に南ベトナムが実効支配していた島に漁船を送り込んだことがきっかけで、双方の軍が衝突。
 本格的な海戦も発生し、敗北した南ベトナムは同諸島から撤退した。
 中国はベトナム勢力をパラセル諸島から駆逐した同戦争を「西沙群島自衛反撃戦」と呼んでいる。
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 インドネシアと中国の関係には、複雑な歴史の経緯がある。
 インドネシアは1950年4月に中華人民共和国と国交を樹立。
 世界的にも早い時期における「新中国」の承認国となった。
 両国関係は当初は極めて良好だったが1967年に断交。インドネシア共産党によるクーデター未遂の結果、同国で反共主義のスハルト政権が発足したことが原因だったが、クーデターの背景に中国共産党があったとの見方も強い。
 また、同国経済を支配していた華僑資本の背後に中国があったとの事情もあった。
 インドネシアでは華僑に対する大弾圧、迫害も発生した。
  国交が回復したのは1990年だった。
 中国にとっても対インドネシア関係は長年の懸案であり、インドネシアでは経済の活性化のため、中国との関係を構築する必要があった。
 両国政府は現在、「国益優先」のために良好な関係の構築に努めているが、インドネシア国民の間の対中感情はよくないとされる。
  インドネシアはASEAN最大の国家であり
 (人口2億4000万人、2位のフィリピンは9500万人)、
 南シナ海において中国と領土問題を抱えていないことから、中国とベトナム、フィリピンなどの領土を巡る対立で、インドネシアがどのような立場を取るかは、ASEANとしての世論形成に大きな影響を持つと考えてよい。




【輝かしい未来が描けなくなった寂しさ】



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